広報12月号 地域おこし協力隊トークセッション企画

おおたまいどばた会議 with 地域おこし協力隊

「大玉村が映し出す姿」 担当:小川               
                                  

広報の紙面に載せきることができなかった部分を含めた拡大版!

よりテーマを掘り下げた内容となっています。

全5回を通して移住者を中心に自身の活動や大玉村について対談していきます。その中で大玉村ってこんな一面があったのか、こんな活動や面白いことがあるのか、新しい発見をみなさんにお届け出来れば幸いです。


● 対談者

毛利良之さん/yy vineyard
・1955年 東京都生まれ
・2012年 大玉村と横浜の二拠点生活を開始
・2022年 OOtama bule(ワインブランド)を販売開始


● 簡単な内容


毛利良之さんは奥さんが村内出身で、震災をきっかけに横浜と大玉村の二拠点生活を開始しました。新たな挑戦として、大玉村でブドウを作り始め、ワインブランド「OOtama bule」を作り上げました。

ブドウ栽培の困難さや、大玉村のテロワール、これまで活動してきたNPOの話などについて話しています。


今回この対談を通して”地元愛”について考えさせられました。みなさんにとっても地元は他の地域とは別の想いがあると思います。

● 目次




―大玉村にきたきっかけ―



小川:今日は大玉村でワインを作られている毛利さんと対談させていただきます。

まずは出身はどちらですか?

毛利さん:東京で生まれ、育ちました。

小川:大玉村を来られたきっかけは?

毛利さん:奥さんの出身が大玉村で、結婚の挨拶で初めて来た。

それからも何回か大玉村に来ていたね。

小川:今こうして大玉村に家を建てられて、二拠点生活をされていますが、それはいつ頃からですか?

毛利さん:はじめは田んぼ通り沿いに家を建てていて、それは震災の翌年だった。

小川:震災のあとすぐに家を建てたんですね。

なぜそのタイミングだったんですか?

毛利さん:その前からかみさんが安達太良山がきれいに見える土地がほしいというので、将来家を建てることも見据えて買っていたんだ。

それで、何年かそのままにしていたんだけど、震災があって、それで建てようと思った。

それに、大玉村にはかみさんの親戚がたくさんいる。その兄妹たちが福島にいるから、大玉村で活動していくのもいいかなと思ったんだ。

小川:そのような縁があったんですね。




―横浜と大玉村の二拠点生活―



小川:会社を退職されたのはいつですか?

毛利さん:2年前かな。

小川:そうなんですね。勤めながらワインぶどうの手入れをしていたんですか?

毛利さん:そうだね。ただ60歳から65歳の間は会社には行かないつもりでいたから、ほとんど遠隔で仕事をしていた。クライアントとの打ち合わせや必要な時だけ会社に行って、それ以外はこっちに来ていたね。

小川:二拠点生活のメリットはどう感じていますか?

毛利さん:一拠点より幅広い活動ができることかな。

小川:場所が違えば挑戦できることも増えますよね。




―ブドウ作り―



小川:ぶどうを作られていますが、そのきっかけは?

毛利さん:すごい決心があったわけではないよ。

もともと土いじりが好きで、とうもろこしやら大豆やら作ったりして、楽しかった。

野菜作りを3,4年やったんだけど、将来につながるようなことをやってみたいと思った。

ワインが好きだったから、かみさんがぶどうでも作ったらって気軽に言われて、それでやってみようと始めた。

小川:それがいつの話ですか?

毛利さん:2015年かな。

最初に4種類を3本ずつ、計12本かのぶどうを植えたんだ。

それが育ったんで、2016年に150本植えた。

小川:それが取れ始めて、ワインなったんですね。





―ブドウ栽培の困難ー



小川:普段は一人でブドウのお世話しているんですよね。

毛利さん:そうなんだ。植える時や収穫の時は手伝ってもらっている。

特にダメな実を取るのが大変で人手が必要になる。

小川:ブドウ栽培の中で1番大変なのは?

毛利さん:病虫害対策が大変だね。

小川:ブドウ栽培の一年の流れは?

毛利さん:3月になって暖かくなってくると、水あげが始まって剪定した枝から水がポタポタ落ちてきて、木が目覚め始める。

そしたら芽吹き始めて、葉が開いてくる。

その時に花目があるかないかで房ができるかが決まる。

5月頃に剪定して誘引してなるべくいい実ができるようにし、実に日が当たるように葉を取ったり、房が多いと間引きする。

それを8月ごろ成長がとまるまで続けて、9,10月にかけて収穫をする。

小川:その中で問題が発生したりしますよね。

毛利さん:今年も天候に左右されたり、昨年は獣害があって、思うような収穫ができていないね。

一昨年からワインの収穫が本格化してきて、一昨年は特に被害がなかったんだけど。

小川:自然環境の影響は大きいですよね。私も畑で野菜を育てていますが、今年の暑さには苦しめられました。

毛利さん:今年は害獣対策は早めにしたので、食べられることはなかった。ただ、高温障害あったし、フタテヒメヨコバエという小さなセミが葉の栄養を吸ってしまった。

小川:また来年は何が起きるかわからないのが、農業ですよね。そこらへんが難しいです。




―OOtama bule誕生ー


小川:毛利さんはワインに「OOtama bule」と名付けられましたが、どのような想いを込められているのでしょうか?

毛利さん:ワインの名前は地名から名付けられることが多い。いろいろ考えた時にやはり安達太良山は重要だなと。それで高村光太郎が詩集「智恵子抄」で『ほんとの空』と呼んだこの地域に根差したワインにしたいと思って「OOtama bule」名付けた。

小川:「ほんとの空」と聞いて、大玉村の空は確かに広々としてきれいだなと思いましたが、東京にいた時に空が狭いということを認識していませんでした。毛利さんにとって「ほんとの空」はどのように感じていますか?

毛利さん:東京の空が狭いのはわかる。大玉村の空がきれいのはわかるが、「ほんとの空」の本質はまだわかっていない。ただ、かみさんの生まれた大玉村の「OOtama」を名前の中に入れて、盛り上げられたと思っている。

小川:高村光太郎が智恵子の死後「智恵子抄」を出版したのもそういったかみさんの故郷の想いもあるのかなと思いました。





―大玉村のテロワール―



小川:ワインを語る時にテロワールという言葉を使いますよね。

毛利さん:テロワールは簡単にいうと「土地の記憶」ということ。

小川:土地の記憶っていいですね。

毛利さん:特にワインは他のお酒と違って、醸造過程で何も足さないお酒。

原材料はその土地で育ったぶどうの実だけだからその土地の味がする。

小川:風景など大玉村のことを想像しながら飲むと、より大玉村のテロワールを感じられそうですね。

大玉村の野菜などにもテロワールは言えるのでしょうか?

毛利さん:テロワールはその育った土地や環境でどのような実ができるかという話。

自身の土でできたものが口に届くことが大切なことだね。





―OOtama buleの目標ー



小川:ワインは一年で何本くらいできるんですか?

毛利さん:一年目は白ワインの甲州と赤ワインのメルローが合わせてフルボトルで400本くらい、ハーフが100本くらい。

2年目はカベルネも増えて三種類のワインができたが、収穫量は減ってしまって合計333本だった。

小川:今年はどれくらい出来はどうですか?

毛利さん:今年は甲州の出来が良くて5割増くらい、メルローは去年と同じくらい、カベルネは去年より1割減くらいだね。

全体としては去年より多いよ。

小川:年間目標は何本を考えていますか?

毛利さん:第三圃場に植えたブドウが来年から収穫できる予定。そうすると5種類のワインができて、トータル1000本のボトルを作り続けることが目標だね。





―NPO夢中塾の活動ー



小川:NPO夢中塾をやられていますよね。夢中塾はどういったNPOなんでしょうか?

毛利さん:夢中塾は2000年から23年間やっていて、「都市に住む人」と「地域に住む人」との橋渡しをする活動をしているよ。

小川:長く新潟県十日町市の松代地域で活動されていますよね。私も今年の5月、夢中塾の活動に参加させていただきましたが、地域の方々と交流をしながら松代をまわれて貴重な体験になりました。

毛利さんが夢中塾を作るきっかけは何かあったのでしょうか?

毛利さん:東京は高度経済成長期に外からきた人が多い。

そういった人たちが東京での生活が基盤になって、帰る田舎がなくなっていく。

田舎とも密接なつながりがなくなった人たちが定年退職後に何をするのかという疑問があった。

小川:私の家族もここといった田舎がないので、気になるところですね。

毛利さん:そういう人たちに統計調査をとると、そのベスト3には旅行が入っている。

しかし、旅行のコストは高く、年に何度も行けない。

毎月毎月いろんなところに行って、いろんな人たちと知り合ったら、ひょっとしたら移住するかもしれないのだけれども。

小川:確かに旅行にいくと新しい文化に触れたり、普段の生活では得ることのできない体験ができるけれど、コストの面が問題になります。

毛利さん:そこで、 日本は箱物行政で、いろんな施設を作ったけど、盆暮れ正月はいっぱいになっても平日は埋まらない。だったら定年退職した人は毎日日曜日だから、平日でも旅行できる。

箱物は平日に人を集めたいならWIN WINだと思った。

そういう箱物を持って困っている行政と話をして、なるべく安いレートで人が泊まれる仕組みをできないかと。

小川:とても面白い視点です。

毛利さん:新潟県庁や静岡県の河津や、伊豆大島、それぞれ町長レベルで話をして、理解が得れて活動が始まった。

小川:そこで「都市に住む人」と「地域に住む人」との橋渡しというコンセプトに戻ってくるんですね。

毛利さん:これまで、松代では田植え稲刈り、河津ではアジをひらいたり、塩を作ったり、わさび漬けを作ったりと活動してきた。



―大玉村でできること―

小川:夢中塾の活動は松代や河津などでやっていますが、大玉村ではできないんでしょうか?

毛利さん:松代では20年以上付き合いがあって、夢中塾の活動も歓迎してくれている。大玉村には10年ほど通っていて、今もできることを模索している。

小川:大玉村は人口も増えてきています。それは郡山から近いことやスーパーやコンビニも近くにあり便利なことも要因だと思います。またマチュピチュ村との友好都市であったり、面白い素材はあります。ただ、大玉村のブランドが弱いとも感じています。

毛利さん:ベットタウン的な要素があるけどそれだけだとダメなんだよ。

小川:そうですね。地元愛が生まれないとダメだと思います。

毛利さん:そこには若者の力が必要になる。大いなる田舎というキャッチフレーズもいいんだけど、もっと何か欲しい。

小川:観光資源は少ないですが、それは大いなる田舎を突き詰めるのも魅力的だと思います。

毛利さん:何もないから行きたいという需要もあるね。それを徹底的に追及するのも。

小川:夢中塾のようにそういった体験をできる仕組みを作るのも面白そうです。




―OOtama buleと進む道ー



小川:OOtama buleをこれからも作られていくと思いますが、大玉村内外にも広がっていってほしいですよね。

毛利さん:大玉村はこれまでお米があって、りんごやももがある。いろいろあるけど、その中にワインが追加されて、ワインも飲めるんだってなったら少しは大玉村の価値が上がるんじゃないかな。

小川:毛利宅で行っている試飲会や村内のマルシェでも飲めるようになって少しずつ認知度も上がってきていると思います。

毛利さん:それは嬉しいことだね。

ワインは人を呼ぶ飲み物だから、首都圏からも美味しいワインが飲めるってなったら来るかもしれない。そうした大玉村の将来像を模索したい。

そして、地産地消でうちの村にもワインがあるよって村民の方に言ってもらえるようになりたい。




対談を終えて


第四回目はyy vineyardの毛利さんと対談させていただきました。
大玉村で700本のぶどうの木を育て、ワインを作り続ける毛利さんのお話は他にもNPOのお話や大玉村の将来について議論できたことはとても有意義な時間となりました。

私が大玉村に移住してきたのが、2021年の8月でした。
来てまもなく、ワインを作っている方がいるよというお話を聞き、一度毛利さん宅を訪ねたのが、毛利さんとの出会いでした。

毛利さんとお話ししていると、地域の話やイベントの話など、時間を忘れてしまうほどに話しこんでしまいます。そして、これまでNPOや地域活性化に力を注いでこられた毛利さんとのお話は勉強になっています。

今回対談をするにあたって、もとより知っていたことも多くありましたが、新しい発見、課題が見えてきました。
その一つが「地元愛をどう作っていくのか、作られていくのか」です。

私が協力隊になりたての頃、よく言われたこととして、

「なんで東京からわざわざ何もない大玉村にきたか?」

これは他地域の協力隊の方からも聞く話です。

確かに東京と比べてしまえば大玉村にないものは多いですが、その反対に東京にはないものが大玉村にはたくさんあります。

その大玉村にある魅力に引き寄せられて、私は協力隊として来ました。

大玉村は人口が増加している珍しい村です。それは利便性や子育て支援が充実していることもありますが、他にも何か大玉村に魅力を感じたから移住してきていると思います。

その魅力を多くの方に伝え、大玉村に住んでいることを誇りに思えるように活動したいと思います。

そして、地元愛のある村に大玉村がよりなっていってほしいと思います。



毛利さんが作られるOOtama buleの詳細を知りたい方は下記のリンクから!

YY-VINEYARD





次回は最終回です。お楽しみにしていてください。
2月中旬頃更新予定です。